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SUNTRONIX企画イベント 「あの夜」第二夜に寄せて

「あの夜 −Now & Then−」 文・山藤 輝之

今は昔の物語。

その夜の一杯目、俺はジン・トニックを頼んだ。
十五分ほど後になって、食事が運ばれてきたときに、やっぱり生ビールにすれば良かったと後悔したのは言うまでもないが、洒落たお店だったこともあって、オーダーする時にはそういう気分だった。

ジン・トニックを飲むことはあまりないけれど、もう少し若い頃には時々飲んだ。
大抵は冷えすぎた生ビールから飲み始めて、三杯目か四杯目くらいに、多分、夜が深くなったことを感じるために。
そのカクテルを飲むことに特別な物語は何もなくて、仲の良い友達がよく飲んでいて、それを真似しただけのことだ。
友達は何か、その頃に凝っていた海外の小説だとか、映画から真似たのだと思う。
友達は何となく大学生で、俺はまあ、何となくふらふらしていた。
二十とか二十一とか二十二とか、その頃のことだ。

俺の音楽キャリアは、ヘヴィ・メタルやハードロックを半ば狂信的に聴いて、巻き毛のロック・スターに憧れることから漸く卒業して、音楽をより幅広く理解するきっかけとなった先進的なクラブ・ミュージックは時々聴いて、それよりも路線バスに揺られて沈み行く夕陽を眺めながら、ノスタルジックで狂おしく眩しい、サニーデイ・サービスの音楽なんかを聴いていた頃の話。
今よりもう少しセンチメンタルだったかも知れない。
世界ももう少し平和だった。

「なに見てるの?」
そんな風に間接照明の黄色い光を受けて、気だるそうに質問する。
壁には引き伸ばされた大きな影が、アンリ・マティスの絵のように、ふくよかに拡がっている。
彼女の視線は、二十パーセントの本能的な防御力と八十パーセントの純真な攻撃力でできていた。
どちらにしても、彼女はエクストラ・ヴァージン・オリーヴ・オイルのようにピュアな魅力を持った女の子なのだ。
視線の先の遠い記憶について話すと長くなるので、それとなくお茶を濁した。
彼女の二つのサーチ・ライトは、静かにゆっくりと点滅し、口元は真一文字に固く結ばれている。
あの夜もいい夜だったけれど、この夜もいい夜だ。
店のスピーカーからは、クール過ぎるジャズ。
向かいの店には、パーティーを続ける女の子達。

二十歳そこそこの頃の俺は、バイト先なんかでもまだまだ若いね、なんて言われて、でも、若いからって何でもできる訳じゃなくて、若い頃に何にも出来なかった人が大人になって、そこら中にごろごろしてるじゃないか、ということをちゃんと分かっていた。
何にも分かっていなかったけど、そのくらいの仕組みは嗅ぎ付けていた。
どこへ行ってもどこへも行けないような諦念もあった。
そして、働いても遊んでも何にも成し得ぬまま、あれから十年近くを過ごして、自分の考えが間違っていなかったことを、身をもって立証した。
行き先のわからないバスに乗っているようなものだ。
降りるタイミングもわからないで、ただただ車窓を眺めている。
同じところをぐるぐると回っているだけなのかも知れない。
あまりにゆっくりとした死だから、気付いていないのだ。
枯れ枝を見つめ、死んだ商店街を見つめ、干上がったプールを見つめている。
うまく生きることが、苦手で仕方がない。

有線からニルヴァーナがかろうじて聴こえる、学生ばかりで騒々しい安居酒屋や、生ビールを手にした水着のキャンペーン・ガールが眩しい笑顔で微笑むポスターが貼られた安居酒屋で、薄すぎたり濃すぎたりするジン・トニックを飲んでいた二十とか二十一とか二十二の頃、自分より幾つか年上の、絵描きの女の子が好きだった。
背が低いことも、歳が上なことも、絵描きの彼女のチャーム・ポイントとなって俺を揺さぶっていた。
彼女はその後、ひょんなことから売れっ子のイラストレーターになった。
ポップな、言い換えれば軽いタッチのイラストや漫画で生計を立てられるようになった。
皮肉でもお世辞でもなく、得意分野を活かして自分の食い扶持を稼ぐなんて、とても立派で素敵なことだ。
でも、俺は当時彼女が見せてくれた絵葉書の、シリアスな犬の絵が、彼女の才能と人間性を示す真骨頂であると今も信じている。
マットな赤い背景に白い和犬が人懐こくも荒いタッチで描かれた、静かでエキセントリックな絵だった。
俺が不器用にその絵を褒めた時、彼女はぎこちなく喜んだ。
今でも彼女が本を出せばチェックするし、良ければ購入する。
ホームページ上の日記も時々覗く。
十年一日というけれど、十年前も昨日のことという気がしなくもない。

そして俺たちは、山盛りのフライド・ポテトをケチャップに浸しては食べ、生ビールやジン・トニックを消費することで、過酷な冬の時代を何とか乗り切って、今に至る。
今同じことをしても、胸焼けがするだけだとしても。

個人の創造性のピークと、芸術性のピークと、商業的成功のピークは、必ずしも一致するものではない。
化学と運命とやる気、その他のスパイスをひとつの鍋にぶち込んで、ぐつぐつと煮ていくと、ゆっくりとあぶくのようにアウトプットが浮かんでくる。
人間には、それぞれに、その人に適した「その時」があるんだと思う。
それより早くも遅くもできない。
偶然と必然は、鏡像よりもよく似ている。

俺より先にジン・トニックを知っていた友達は、既に結婚して、子供をつくった。
こちらのヨットはいまだに風を孕む気配もなく、そもそも帆が上がっているのかどうかも俺には分からない。
友達に会うのも年に一度か二度だ。
外から見た俺はきっと、さまよえる幽霊船みたいなものなのだろう。
宿命的に痛ましく、霧の中から不幸を背負って現れるぼろぼろの建造物。
そう思うと、誰とも会う気がしなくなってくる。

この頃の俺は、やたらと眠ってばかりいる。
昼間ぐっすりと寝て、夜も眠る。
明け方、途中で起きて、また眠る。
やたらと眠るから、やたらと夢を見る。

例えばこういう夢だ。

「レオン」の頃のナタリー・ポートマンに似た少女と、スケボーや凧揚げをして遊んだ。
凧は立体的な気球のようで、ドラえもんの形をしていた。
海辺の神社で、能のようにも見える何かの儀式をしていた。
友達とバイクでツーリングをしていた。(俺は現実にはバイクに乗れないが。)
数年前の同僚が仕事を手伝ってくれた。
行ったこともないシネコンで、知りもしない映画を観た。
太ったおばさんがゴミ捨て場にいて、歌をプロデュースする仕事をしているそうだった。
綺麗な声だった。

そんな馬鹿げた夢ばかり見ていると、いつか現実と虚構の区別がつかなくなって、気が狂ってしまうんじゃないかと思った。
それでもセラピーとして、眠らずにはいられなかったし、夢を見ずにはいられなかった。
おまけに小説も沢山読んでいた。
現実もまた虚構だ。

陽も落ちた。
そろそろ起きる頃だ。
起きて、部屋の明かりをつけて、パソコンの電源を入れよう。
それでも無理なら、インスタント・コーヒーを淹れに行こう。
携帯電話には迷惑メールが一件。
この世界にしては、上出来だ。
布団から体を引き剥がし、ほろ苦い現実へのコネクションを取り戻す。

今は昔の物語 /

  お姫様を /

    迎えにいくよ。

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