2008年5月号の特集記事です。
今月は東京の3ピース・ロック・バンド、ニーネの特集です。
じっくりたっぷり、お楽しみください。
【特集】ニーネ
・ニーネ インタビュー (文・聞き手 山藤 輝之)
・ニーネLOVE (絵・大橋 裕之)
・ニーネについて (文・ニーネスタッフ&ラプソディ主宰 ミズニワ)
・雨の日のニーネ (文・佐藤 正訓)
【特集】ニーネ (http://ni-ne.net/)
photo by 茅野 剛
■ニーネ インタビュー (文・聞き手 山藤 輝之)
・ニーネ インタビュー (文・聞き手 山藤 輝之)
<はじめに>
一生懸命働いている人から無いお金を搾り取って、その人の人生や、苦しい日々の生活
に、何の救いにもならない中身のない音楽っていうのが、世の中には結構あって。
それでそれなりに売れているみたいだけれど、そういう奪い合いやゲームみたいな
ものは、もういらないんじゃないかな。
そんな風に誰かの欲望に巻き込まれて、すり減らされる人を見たくないよ。
そうじゃなくても厳しい世の中だから。
良い音楽というのは、一瞬で、世界が変わる魔法だと思う。
小手先の手品ではなくて。
雑誌に都合の良いペースで機械的に並べられて、あっという間に忘れられる
ヒットチャートみたいに、音楽は単純に生産・消費されるものではないと思う。
CDみたいな現物の販売は、これからなくなるんだよね。
アナログ盤みたいに、マニア向けの、過去の贅沢なメディアになるのかも知れない。
楽曲単位でダウンロード配信される音楽にも、世界に魔法をかけようだとか、
大切なあの人をどうしたって助けるんだっていう、気概や魂が宿っているのかな。
彼女はニーネが好きだ。
あの子もニーネが好きで、あいつもニーネが好きだし、あいつとあいつは、俺がニーネの
ライブに連れて行ったんだった。
俺は気付けばもう5年も前からニーネを聴いて、ライブを観ているけれど、いつの間にか
大切な人はみんな、ニーネを中心につながっているみたいだ。
ニーネを聴くと、自分のことが歌われているような気がする。
ライブに行ったら、その時、その場所で大塚さんが自分のことを歌っているような
気さえする。
気がついたらステージの前で踊りたくなって、帰りには、友達と話したり、満員電車に
揺られながら、さっきまでのニーネの演奏のことをずっと考えている。
で、次の日には「平凡以下の生活!」とか、「タイ料理!」とか、頭の中をぐるぐる
廻りだして、歌いたくなる。
街中のあちこちで、昨日ニーネを観たみんなが小さな声で歌っていると思う。
俺も歌うよ。
「夏休みは終わりだ!」
俺たちの生活に染み込んで、滋養になるような言葉と、リズムと、メロディと、感触を、
ニーネは持っている。
全くつまらない毎日にも、酔っ払っている時にも。
あるいは、酷いスランプで、にっちもさっちも行かないときにも。
とりあえず、はなそうぜ!!って時にも。
ニーネの歌が、ギターが、ドラムが、ダラダラと血を流して、ギラギラして、
そこら中をのた打ち回っている。
ストーブにもこびりついているし、友達にあげた、壊れて使い物になっていない
洗濯機にもこびりついている。
それでまあ、なんとかやっていけそうな気がする。
今この瞬間にも、そういう生きている音楽が必要だ。
そんな訳で、ニーネの歌がどんな風にできているのか、ずっと知りたかった。
ニーネのヴォーカル、ギターを担当する大塚さんと、ドラム、ヴォーカルを担当する
定行さんの二人に、話を聞いた。
<作詞・作曲について>
山藤:大塚さんが作詞・作曲を始めたのはいつ頃ですか?
大塚:幼児のころからピアノが家にあったので弾いて、それで作ってたよ。
幼稚園の頃に適当に歌ったテープとか残ってる。録音マニアだったから。
幼稚園の音源はアカペラで歌ってるけど曲はオリジナルと、いろんな歌を勝手に
つないだ歌。
5曲ぐらいの歌が混ざってるの。
今聞くと、あれとあれとあれだな、って分かるけど当時は本気でそういう曲だと思って
いたんじゃないかな。
山藤:音楽を意識的に聴くようになったきっかけってあるんですか?
大塚:別にない。テレビやラジオで鳴ってる歌は好きで聞いてたけど。
定行:大塚さんの普通にはね、俺とかと比べたら相当深いよ。当時聴いてた曲の歌詞、
今でも覚えてたり。
大塚:1回聴いたらあまり忘れないね。小学生のころは、ラジオで誰かの新曲が
かかるでしょ。一回聞くと大体歌えたね。
定行:しかもさぁ、1番と2番の間の展開の音楽とかさ、キメとかまで覚えてる。
山藤:そこから洋楽のロックとかを聴くようになるのも、特にきっかけはなんですか?
大塚:小学生の頃にタイに住んでたから普段は邦楽は聴けなかった。
山藤:タイの音楽というよりは、洋楽ロック?
大塚:そうだね。ポップスとか。
山藤:ギターっていつ始めたんですか?
大塚:ギターはね、中学卒業後、高校に入学前の春休みに注文して、4月末に届いた。
だけど、中3の時にも手作りで作った怪しいギターのようなものを良く弾いてたよ。
普通のチューニングのギターではないんだけど。
木をレスポールっぽい形に切って、ボディとネックを釘でつなげて、ピックアップは
マイクの代わりにスピーカーを埋め込んだ。
スピーカーで音を拾えるっていうことはなんとなくイメージできたんだよね。
スピーカーをここ(アコギのホールのあたり)に埋め込んで、そこから出てるシールド
をラジカセに入力して、鳴らす。
チューニングはオリジナルチューニングで、釘で打ってあるから変えられない。
定行:凄いね。それ。
山藤:ボディっの厚さってどうなってるんですか?
大塚:薄いよ。1.5cmくらい。
<大塚さんが影響を受けたギタリストについて>
山藤:影響を受けたギタリストについて聴きたいのですが。
ニーネのギター・サウンドは凄く特徴的だと思うので。
大塚:影響受けたギタリストって…昔はあったんだろうけど。。。。。
23年くらい弾いてるから、いろいろ影響は受けただろうけど、わからないなあ。
影響とか、昔の話とかって、あまり面白くなくない?
山藤:みんな結構興味あると思いますよ。ブルースとか、ハードロックっぽいですよね。
大塚:17,8年前くらいにはブルースも通ったけど、今全く聴かないし、全然好きじゃない。
定行:ブルースに限らず、大塚さん、すごくたくさん知ってるよね。それら全て影響
されてるんだと思うな。
大塚:でもギターがどうだからこの歌が好きとか、って聴き方はしないな。
山藤:ニーネの1stを聴いて、PAVEMENTとか好きなのかなと思ってたんですけど。
大塚:1stって「8月のレシーバー」?
PAVEMENTは好きだけど、少なくとも作るときに意識はしていない。
「8月のレシーバー」の曲を作ってる頃には知らなかったよ。
「プラタナスハードライン」や「8月のレシーバー」が出るころには知っていたけど。
聴く音楽ってすぐ変わるから。いつでも同じのばかり聞いてるわけじゃないし。
zombiesを聞く日もあれば、franzを聞く日もあるし、ベルセバばかり聴いてた時期も
あるし、foalsばかり聞いてることもある。
でも歌作る時期はたいてい何も聞かないかな。
<サダさんがドラムを始めたきっかけについて>
山藤:サダさんがドラムを始めたきっかけは?
定行:高1の時に、俺の1番仲良かったタナカジュンって男とバンドをやることになって。
大塚:タナカジュンに「お前ドラムやれ」って言われたの?
定行:中学ぐらいからバンドが流行りだして。
中2、中3とか。みんなパンク・バンドなんだけど。
俺は見るほうで自分ではやってなかったんだけど「やりたいな」とは思っていて。
そうしたらタナカジュンも同じことを思っていて、「バンドやろうぜ」って。
俺最初は「ギターやりたい!」って言ったんだけど、タナカジュンが「俺がギター」って
言って、で、もう一人がベースやることになっちゃって、あとはヴォーカルとドラムしか
なかったから、歌なんて歌ったことなかったから、俺はドラムになった。
ドラムがどんなものかも全く知らずにね。
バスドラとスネアとハイハットがあるってことは見て知ってたけど、それを右手でこう
叩くとかは、知らなかった。
山藤:最初にやってた音楽は?
定行:ジャパメタ。あとはヤング・ギターに楽譜が載ってる曲。(笑)
全員初心者だから、楽譜を見ながらじゃないと最初はできない訳。
それと博多のライブハウスに来るインディー・メタルバンドとかいろんなのを見ては、
それに夢中になる。
<人前で演奏を始めた頃について>
山藤:最初に人前で演奏した頃って覚えてますか?
大塚:ピアノの発表会かな?
それとコーラス隊に入ってたから、舞台もやってたし、それをテレビで放送されたりも
してた。
山藤:それは小学校のとき?
大塚:そう。
山藤:バンドはいつですか?
大塚:バンドは高校生かな。
中3の時にも、楽器を持ってないやつらが、「バンドだぜ!」って言って集まって
エア・ギターみたいなのをするのが流行ってたからそれで、バンドみたいなことは
やってたよ。
昼休みとかさ、人前でやるの。
山藤:それってなんか、後ろで曲をかけてやるんですか?
大塚:曲はかけない。楽器パートも口でやる。オリジナルを。
で、その仲間とは録音したりしてたよ。週末に集まって。
楽器持ってないからギターとかドラムはないけど、ピアノとか笛とかさ。
段ボール叩くとか。
そういうので録音してた。あと、ノイズを作って録音したり。
ノイズ集団って呼ばれていた。
山藤:ノイズってどうやって出してたんですか?
大塚:ラジオとか機械とかで。友達がオープンリール持ってたから。
カセットテープを裏に巻きなおして逆回転で鳴らしたり。
後はいろんな音をラジカセで録音して、2台で何度も何度も音を重ねて、みたいなことを
してた。
定行:それは凄いね。
大塚:当時はね。今は普通だけど。
「8月のレシーバー」の「サマーメロディー」の後半に鳴っているノイズは中学生のとき
に録音したやつを使ってる。
あとは中3のとき、パソコンでプログラミングして音鳴らしたり。
そういうのは今の方が出来ない。
当時の相方が凄くいい曲を作るやつで、そいつと俺で、よく曲を作ってた。
中学生の時、全校生徒だったか、学年の生徒全員か忘れたけど大勢の前で、二人で
ピアノの連弾をして歌ったことあるよ。
エアバンドのオリジナルを。
定行:すげぇ。
山藤:それは凄いですね。
大塚:あと中3の時、学校の行事でクラスの歌を作るってのがあって、クラスのみんなで
作った歌詞に、俺が曲つけた。
作ったんだけど、みんなが歌えなくてボツになった。
早口過ぎて。凄いロックだったの。
<歌詞の変化について>
山藤:そういう時から、シリアスな曲を作る転機ってあったんですか?
大塚:偶然本心を歌っちゃうこともあれば、ふざけて歌うときもあったりして、意図的
ではなかったね。
みんな一生懸命歌作ってるんだって気がついたのが、27歳くらいかな?
それまでは、あんまり意図的じゃなくて、その頃から聴き手を意識しだした。
山藤:それまでも自分の感じたこととか見たことを歌ってたんですよね?
大塚:それは歌ってたよ。
サダはずっと俺のバンドを見てきているから覚えている思うけど、「レシーバー」の
「誰もいない」は古い曲で、19の時作ったの。
あれは、シリアスだって言えばシリアスだし。でも当時は別にそんな意識してなかった。
<音楽への目覚め>
山藤:自分が凄く音楽が好きだなって思ったのはいつ頃ですか?
大塚:音楽好きではないよ。俺は、たぶん。
音楽好きのバンドマンみたいなのあんまり好きじゃないから。
定行:どういうことですか?
大塚:たとえば、ソウルが好きでソウルみたいな音楽をやるとか、ブルースが好きだから
ブルースとか、アレが好きだからアレみたいなとかじゃなくて、仲間がいて、歌いたい
ことがあって、それで、、、。
山藤:音楽が特別っていうことじゃなくて、自然にそこにあるものってことですか?
大塚:そこにあるだけってことじゃないけど…。
ロックが好きなんじゃなくて、ただロックなことをするのが好きなんじゃないかなって
思う。
だから、スタイルじゃなくて、なんかビビってくるものを発信してくれる人が好き。
発信されたものを受け取るのが好きだね。
ただリズムがいいからとか、スタイルとかじゃなくて。
そんな感じ。
…分かんない?
定行:いや、分かる。凄い分かる。
大塚:新しいものを見せてくれる人が好き。
それまでに無かった価値観をバッて見せてくれる人。
それは、音楽じゃなくても、学校とか仕事場でもさ、ちょっと変なやつがいてさ、
それまでに自分が持ってた価値観をぶち壊してくれるような発言をそいつがしたら、
そいつのこと好きだなって思うし。
そういう感じ。
<大学生の頃>
大塚:大学生の時はさ、日本の音楽聴くと笑われるようなクラブにいたんだよね。
山藤:クラブって軽音ですか?
大塚:フォークソングクラブって名前だったんだけど、まあ軽音。
みんな当時は昔のロックとかメタリカとかハロウィンとかやっていて、俺は苦手で
みんなの演奏聞くのが苦痛だった。
あとはだいたいいつも飲んでるの。俺は全然飲めなかったからやめたかったけど、友達も
いたからやめなかった。
サダ、平野、岡くん、ヒライくん、中村SP(元ニーネ、または現ニーネのみなさん)、
みんないたからね。
でも、大学でそういうクラブにいたから、気持ちがあまりお客さんに向かってなかったのね。
卒業してからお客さん意識するようになったよね。
山藤:大学の頃は、サークルのメンバーとかをお客さんにしてやってたんですか?
大塚:ライブハウスでもやったしホコテンでもやってたりしてたから一般のお客さんも
いたけど、でもクラブでもやってるからね。
そこから抜けきれないっていう感じ。
<ニーネ結成の頃>
山藤:ニーネ結成した頃に、こういう音楽をやろうっていう話ってしました?
大塚:いや、全然しない。
みんな俺が作った曲をやるって自然に決まってた。
山藤:曲は大塚さんが持っていってやってたんですか?
大塚:持っていってっていうか、スタジオで作る。
高校生の時は宅録もやってたから、家で一人で曲作ったりしたけど。
山藤:じゃあ、バンドやるようになってからは、メンバーと一緒に作る?
大塚:バンドは高校生の時からずっとやってるよ。
エアギターバンド入れれば、ギターを手に入れる前からやってた。
それと同時に当時は宅録もしてたってこと。
大学生になると、人ん家泊まっちゃったり彼女の家にずっといたりとかしてあまり家に
帰らないから、宅録をしなくなった分、スタジオで作るようになった。
でも、今考えると全然まじめにやってないよね。大学生の頃は。
定行:大塚さんが?
大塚:俺もサダも。
定行:俺はやってないけど、大塚さんはやってましたよ。
大塚:でもダメでしょ。あれじゃ。
一生懸命やってたんだけどね。でも適当だったと思うよ。
photo by めっち
<曲作りについて>
山藤:スタジオで曲を作るのって、一緒に音を出しながら、うまくいったところで
作るんですか?
あんまり想像つかないんですけど…。
大塚:スタジオでは基本野放しにされているので、ずっと勝手に歌ってて、それに
メンバーががんばってついてくる。昔はね。
今はサダも歌ってくれる。交代で。
山藤:歌詞はいつつけますか?
大塚:リハーサルでやってるとき。
山藤:基本的には、その場で歌ったことが歌詞になる…。
大塚:基本はそうだね。断片的には考えている時もあるし、自分でも驚く歌詞を歌い出す
こともある。
まとめるのは家で一人でやるけど。
でも、とにかく歌詞がないと歌えない。メロディだけを歌うって言うことはほとんど
ない。
山藤:曲のタイトルはあと?
大塚:タイトルは先の場合もあれば後の場合もある。決まりはない。
山藤:ニーネって、他のバンドと比べて歌詞が特徴的だと思うんですけど。
そういう日常生活のこととかってあんまり歌わなかったりとか、もうちょっと
アートっぽくするとか、そういう人が多いと思うんですけど、それは昔から自分のこと
とかを歌っているからですか?
大塚:念のために言っておくと、自分のことを歌っているつもりはあまり無いよ。
で、まぁ、27とか8の頃友達が周りで当時いい曲ばかり作っていたのね。
歌詞もすごくいい。友達の歌にいつも救われてた。
だから俺も本気でいい曲、いい歌詞を作らなきゃなってがんばり始めた。
山藤:それは曲で言うとどの辺ですか?
大塚:自分で本当に歌と呼べる物を作ったって気がしたのは「酔っぱらっている」かな?
それまでにもたくさん作ってきたけど。
あの時はあれを歌うしかなくて、出来たとき、これが歌で今まで作ってきたのは
歌じゃなかったって思った。
「酔っぱらっている」を作った日は、同じリハの時間に「茫洋」と
「忘れちゃうってこと」もほぼ同時に作った。
定行:ああ、覚えてる。あの日は凄かった。
大塚:山藤くんがさっき言った「アートっぽい」歌詞っていうのは、
喋り口調じゃないっていう意味だと思うけど、そういう意味では、俺も普段喋っている
口調じゃないと思うよ。特に最近は。
例えば、「スランプさん(、自力で復活!!)」の早口の部分なんて、普段あんなふうに
喋んない。
曲作るとき、自分のことを歌おうとは全然思わない。
誰かの日記みたいな歌聞かされてもつまんないじゃん。
俺は人の日記みたいな歌を聞くのは好きじゃない。
たとえば普段の生活の中で、自分や回りの人に嫌な事があって、で、違和感を
感じるでしょ?
その違和感とどう折り合いをつければいいか、みたいな役に立てればいいなと思って
作ったりしてるかもしれない。
うまく言えてないかも知れないけど。
俺的には、かなり自分と切り離して作っているつもりだよ。
意見はいっぱい入れているけど。
定行:「俺はこうだ!」みたいな俺節とは違う。
大塚:俺もサダも歌詞にはうるさいんだ。
なんとなくかっこいい歌でも、歌詞が良くなかったら興味持たないし、サダなんか
ライブハウスで怒っちゃうもんね。
「意味ないことばっか歌ってやがる」って怒って帰ってくるからね。
それに自分のことばっか歌ってるバンドて嫌じゃない?
自分の話ししかしない人の話なんか聞きたくないじゃん。
聴いた人が聴いてよかったって思える歌を作りたいって思ってるよ。
スタジオで遊んでいる時はふざけて自分のことを歌ったりもするけど、それはモードが
違う。
ちゃんとした歌にはならない。
定行:で、そうやって作った歌詞が、俺はいつでもニーネの見所だと思う。
大塚:そうだね。時期が変われば違和感も変わるからね。
この間の新曲(「あいつらが頭のおかしいこと言っているぜ」)は、
今年の今月(2008年4月)に生きている人には効き目がある歌だと思ってる。
この歌を今必要とする人がいるだろうって思って作った。
人を救えるような歌を作る人は立派だなと思うし、俺はそういう人になりたい。
山藤:特にそういうことを気にしだしたのは、27、8歳の頃ですか?
大塚:ここまで気にしたのはもっと後かもしれない。
なんとなく、自分のことばかり歌っていたり、歌自体に効力の無い歌を歌っているのが
意味ないなって思ったのは27歳の頃。
小学校からの友達の直樹っていうのがいるんだけど、直樹はね、家によく来ては、
珍しい音楽を聴かせてくれたの。
「PRIMALの2ndが出たぜ」ってって聞かされたり、「heavenlyだよ」とかって
聞かせたり、「BUS STOPレーベルだから買ってみたよ」ってチャーリードルドっていう
誰も知らない人を聞かせてくれたり。
で、その直樹の兄貴の誠は、もっと詳しくて。誠は体が弱かったのね。
子供のころから喘息で。それが原因で旅先で亡くなってしまったんだけど。
で、誠に(1990年代の)ある日、ザ・エクスキューズ・ミー(ニーネの前のバンド)を
聞かせたら怒られたの。
「曲はいいけど、歌詞がダメだ。死にたがってたり、愚痴ってたり、暗かったり、歌詞が
全部過去形だったり、自分のことばかり歌ったり、そんなのは90年代には通用しない」
って。
「この時代に生きるんだったら自殺、絶望なんてありえない」って。
健康な俺の心がいじけてて、体が弱いけどがんばっている誠に怒られたの。
「もっと今生きている人の役に立つ歌を歌わなきゃダメだ。この歌があるから生きて
いけるって曲を作れ」って、今思えばそういうことを言っていたんだと思う。
その時はちゃんと理解できなかったけど、7時間くらい、同じことを何度も本気で
繰り返し言われた。
で、ギターポップを聞かされるの。
誠のバンドでヘルプでベースを弾いたこともあったよ。チクタクスってバンド。
photo by 茅野 剛
<フライヤーやHPについて>
山藤:音楽とは直接関係ないかも知れないですけど、フライヤーとかHPも自分達で
オリジナリティのあるものを作るということを、ニーネは結構意識的にやっている気が
したんですけど、それはどうですか?
大塚:それは意識的にやっているよ。
山藤:何かきっかけとか、元になる考えはありますか?
大塚:例えばさ、DMを人に出せるとするでしょ?50円かかる。
50円かかるDMを折角出せるんだったら、コメントを書いたほうが得。
まだスペースがあるなら絵も描いてみよう、どうせ絵を入れるならこの辺に配置した
ほうがおしゃれ、どうせやるなら人とは違う感じにしよう、みたいな考え方かな。
HPはずっとやっていると疲れるから、たまにやる。思い出したように。
人がやっていないことをやりたいとは思うけど、変わったことをやろうとは全然
思っていない。
せっかく作るんだからなるべくがんばろうって感じ。
それは曲作りでも、似たようなことになる。
せっかく5分割いて聞いてもらうんだったら、それだけの内容のある曲にしたいとか。
それで選曲悩んだりするもんね。ライブの。
この歌は曲の長さのわりに内容が薄いとかで。
<選曲について>
山藤:選曲は結構みんなで話し合ったりしますか?
大塚:その時期にできる曲ってそんなに無いからそれほど迷わない。
今出来る曲をあげていくと大体決まってくる。
手を替え品を替えとか、内容の薄い新曲たくさんとか、毎回違う曲でライブやるバンド
ってあんまり好きじゃないんだよね。
その時に好きなものとか、効き目があるものってやっぱりあるからさ。
自然に決まるよね。
演奏の持ち時間が短いライブの日に、何を削るかみたいなことはすごく悩む。
<アルバムについて>
山藤:アルバム製作の予定はありますか?
大塚:アルバム作りたい気持ちは常にあるけれど、今のところ具体的な予定は無い。
ヒライくん(元ニーネ、ベース)がいる時にアルバムを作ろうとして録音していたもの
は、脱退をきっかけにやめてしまった。
ヒライくんがやめたからと言うわけではなくて、「なんとなく今これじゃない」って気が
してきたので。
その音源が新しいCD-R「心に火をつけてくれ」に使われているので、このCD-Rは凄く内容
が濃くておもしろいと思う。
<おわりに>
ニーネは今日も目の前の世界を見て、ステージに上がって、世界と対峙している。
俺たちが対峙している世界と、同じような世界を見ている。
その時、その時で違う気持ちを持って、有効な音楽を鳴らすようにしているんだと思う。
本当に大切なものは、簡単には変わらないし、毎日を退屈にしている要素は、
だんだん悪くなっていったりしている。
それを感じて、ニーネのライブは変わったり、変わらなかったりする。
その時ニーネを必要としている人たちのために、ニーネはあると思う。
たった今、夏休みを終わらせたいと思っている人や、真剣に何かに立ち向かう必要が
ある人や、スランプから自力で復活しようとしている人たちのために、何かの手助けに
なる音楽を鳴らしている。
90年代は、ロックやポピュラー・ミュージックにとって、回顧の時代だったと思う。
サンプリングや、サンプリング的発想によって、色んな音楽が等しく並ぶようになった。
2000年代はどうかというと、もう過去の切り貼りだけでは先に進めないし、太刀打ち
できない、よりシヴィアな世界になったと思う。
切実で誠実な歌詞が、新しいリズムが、驚くようなテクスチャーが必要なんだ。
そんな中で、ニーネは今、インディー、メジャー、洋楽、邦楽を問わずに、2000年代の
音楽を鳴らしている、本当に数少ないバンドだ。
ニーネのライブは、一方通行じゃなくて、ちゃんとコミュニケーションになっている。
自分の歌を聴きたい、自分が変わっていくために必要な歌を聴きたい人には、ニーネの
ライブで得られるものは、きっと役に立つと思う。
食事を摂るように、睡眠をとるように、音楽が作用する。
それは、あるいはただのロックかも知れないけれど、生活の中で、大きな可能性を
秘めている。
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■ニーネLOVE (絵・大橋 裕之)
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■ニーネについて (文・ニーネスタッフ&ラプソディ主宰 ミズニワ)
出会いは五年くらい前。
インディーズマガジンの記事でニーネを知った。
音を初めて聞いたのは岡村靖幸トリビュートアルバムに入っている「ラヴ・タンバリン」だったと思う。
直球勝負で、潔くてすごく気に入った。
それからライブを見に行くようになった。
ちょうど「ブラックホールBABY」が新曲だった頃。
疾走感があって、それまで見てきたどのバンドよりもかっこいいなと思った。
見に行くようになってしばらくしてから、スタッフをさせてもらえるようになった。
あれから五年、メンバーも何度か変わったし、ライブで演奏する曲もガラッと変わっているけれど、カッコいいのは変わらないなと思う。
6月22日、高円寺ジロキチでは僕の大好きなバンド、mooolsとのツーマンライブが開かれる。
この二つのバンド、共に10年近く東京インディーズシーンで活動しているが、不思議な事に今まで対バンをした事がない。
ニーネ大塚さんとmoools酒井さんの歌詞は若干タイプは違えど、共に聞き手を響かせるようなモノがある。
たくさんの人に観に来てもらいたい。
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■雨の日のニーネ (文・佐藤 正訓)
春の雨の日、仕事帰りに新宿駅の小田急線乗り場のトイレへ駆け込む。さっき喫茶店で水のみすぎたのだ。小便を済まして鏡を見る。雨の日は髪がぱさつき、まったくさえない。表情も少し疲れ気味だ。到着したばかりの小田急線の唐木田行きに乗り込む。ウォークマン何聴こうか少し考える。ふと手が伸びたのは、ニーネの『サーチアンドデストロイ』だった。再生ボタンを押す。何べんも何べんも聴いた彼らの曲、そして歌。今も僕の中で日々流れ続けている、そのことを再確認した。
1曲目の「全くつまらない毎日」から、こののんべんだらりとした小田急線が加速していく。行き場のない怒り、焦り、そして絶望感、そんな負の感情すべてをためて吐き出しながらニーネのロックンロールはいつまでも鳴り止まない。それは、このアルバムの最後を飾る名曲「夏休みは終わりだ」を聴けばわかる。ニーネ、そして僕の生きている生活は何ら変わらない、けれどそれに屈することなくロックンロールは終わらない。「自分で作り出した夏休みを終わらせるのは自分だ」、この言葉は今も誰かの手によって生き続け、そしてまたいつか僕にも帰ってくる。
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